大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和42年(ネ)591号 判決 1970年10月29日

控訴人 附帯被控訴人(被告) 株式会社岐阜相互銀行

被控訴人 附帯控訴人(原告) 大西和夫

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

被控訴人の附帯控訴による請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。

事実

控訴(附帯被控訴)代理人は、控訴につき「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を、附帯控訴につき附帯控訴による請求を棄却する旨の判決を、それぞれ求め、被控訴(附帯控訴)代理人は控訴につき控訴棄却の判決を、附帯控訴として「(一)附帯被控訴人は附帯控訴人に対し金五八九万二九八一円およびこれに対する昭和四四年一一月一四日以降完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。(二)附帯被控訴人は附帯控訴人に対し昭和四四年一一月以降毎月二五日限り金七万二一八〇円宛の金員の支払をせよ。(三)附帯控訴費用は附帯被控訴人の負担とする。」との判決および右(一)項につき仮執行の宣言を、それぞれ求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用および書証の認否は、次に附加するほか原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

一、被控訴(附帯控訴)代理人の陳述

(一)  被控訴人(附帯控訴人。以下単に被控訴人と称する)は控訴人(附帯被控訴人。以下単に控訴人と称する)から昭和三九年二月五日現在において月額金四万二七五〇円の賃金を受けており、賃金は毎月二五日に支払を受ける約定であつたにもかかわらず、控訴人は被控訴人に対し同年三月一日から昭和四四年一〇月三一日までの賃金ならびに夏季および冬期の一時金の支払いをしない。右の期間中被控訴人の受けるべき賃金はベース・アツプ、定期昇給および賃金体系の改訂等により別紙第一表記載のとおりであり、また夏季および冬期の一時金として毎月六月末日および一二月末日に支給を受けるべき金額は別紙第二表記載のとおりであり、更に右各賃金および一時金に対する各支給日の翌日から昭和四四年一一月一三日までの民法所定の年五分の割合による遅延損害金は右各表の最下欄記載のとおりである。

よつて控訴人に対し右合計金五八九万二九八一円およびこれに対する昭和四四年一一月一四日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、同年同月一日以降毎月二五日限り金七万二一八〇円宛の賃金を支払うべきことを求める。

(二)  別紙第二表記載の一時金の算定基礎のうち「プラス・アルフア」とあるのは控訴人の裁量により加算される金額であるが、控訴人がその算出方式を明らかにしないため、被控訴人において算定できないものである。しかし、被控訴人はその部分の債権を放棄したものではない。

(三)  別紙第一表記載の賃金額が控訴人主張の金額と相違する根本原因は、定期昇給およびベース・アツプに際し控訴人が被控訴人に対する人事考課の査定を最低または劣悪と評価したことにある。人事考課規程によれば、人事考課の査定は「従業員の勤務の実際を具体的に要素別に評価し企業目的への客観的な貢献度の測定によつて公平な人事管理を行なうことを目的とする」ものであるが、その運用は全く控訴人の一方的恣意によつて行なわれ、時には報復手段として運用されることもあるところ、被控訴人に対しても敵対的に最低の評価である「劣悪」(旧体系)ないし「D」(新体系)の査定をなしたことが明白である。被控訴人は本件解雇前は「優」(新体系では「A」)の査定を受けていたが、別紙第一表の賃金額の計算は、すべて控え目に標準の金額で計算した。控訴人が被控訴人に対し学歴、職種、年令、勤続年数、本給等の近似する他の従業員と比較して最低の査定をなし、格外とも言うべき昇給額を定めたことは差別的不利益扱いである。

二、控訴代理人の陳述

(一)  被控訴人は昭和三七・三八両年度において意識的に所得税の源泉徴収を免れ、かつ扶養家族手当の支給を受けていたものであり、しかも昭和三九年度においてもかかる不法行為を継続する意図を有した。すなわち、被控訴人の妻孝子は昭和三七年一月一日から柴山木工所の従業員として給与を受けていたのであり、原審における被控訴人本人尋問の結果をそのまま措信するとしても、被控訴人は同年五、六月頃には妻孝子が給料伝票の入つた給料袋を貰うことを知つていたのであるから、少なくとも昭和三八年度分の申告中に孝子を被扶養者の中に加えたことは従前どおり惰性として無意識的に行なつたものとは言いえない。加うるに被控訴人は昭和三九年度分についても既に同様の申告をしているのである。

控訴人が柴山木工所に照会したところ孝子の昭和三八年度の給与所得が金一九万一七八五円である旨の回答を受けたことは既に主張したが、控訴人においてその後調査した結果、柴山木工所が所轄税務署に申告した同女の同年度の給与所得は金三〇万七四四〇円に及ぶことが判明した。このことは、被控訴人が柴山木工所に対し控訴人の照会に対する回答を過少にするよう依頼したと疑わせる。

しかも被控訴人は控訴銀行係員に対し、本件不正行為を上司に内密にしてほしい旨依頼したほどで、扶養手当の不正受給額を直ちに返還することを申し出たこともなく、反省の色は全くなかつた。

(二)  控訴銀行においては従業員の金銭に関する不正に対しては従来極めて厳格な態度を持しており、金額の多少、事情の如何を問わず、懲戒解雇または依頼退職(退職届の受理)の処置をとつて来た。このことは役職者はもちろん、一般従業員間にも徹底しており、労働組合もまた金銭上の不正をした者は控訴銀行を辞すべきことを承認して来た。このことは銀行の性格上当然のことである。

被控訴人の所得税源泉徴収の一部不正免脱および扶養家族手当の不正受給の所為は集金横領と同等あるいはそれ以上に悪質な金銭上の不正で、詐欺犯に該当するものであり、銀行の役席者として十分責められるべきものである。

(三)  控訴銀行と従業員組合との間に締結された労働協約第六九条は「人事委員会の議案は委員会開催三日前までに相手方に文書をもつて通知する。ただし緊急を要する場合はこの限りでない。」と規定している。しかし人事の異動および従業員の懲戒が人事委員会の決定前に洩れることは好ましくないので、控訴銀行においては、これらの事項を附議する人事委員会の開催を秘密裡に行なう慣行が生まれ、人事委員会の開催に当つてはその三日位前に控訴銀行の人事部長または人事課長から組合の執行委員長または書記長に対し電話または口頭で人事委員会開催の日時のみを通知し、議案はこれを通知しない慣行が確立している。昭和三九年二月四日開催の人事委員会も右の慣行に従い組合側に通知されたのであつて、開催手続上何ら違法のかどはない。

(四)  被控訴人が当審において追加した請求原因事実のうち、控訴人が被控訴人に対し昭和三九年三月一日から昭和四四年一〇月三一日までの賃金ならびに夏季および冬季の一時金を支払わないことは認めるが、その余の事実は争う。被控訴人が退職しなかつたならば支給を受けるべき給与および一時金の金額ならびにこれに対する遅延損害金の金額は別紙第三、四表のとおりである。

右の金額が被控訴人主張の金額と相違する主要な原因は、第一に定時昇給の昇給額につき被控訴人は控訴銀行の定めた昇給表に存在しない高額を主張するのに対し、控訴人は右昇給表所定の最下位の昇給額を認定した点であり、第二に年度により増給に伴う差額の支給時期(控訴人の履行期)を被控訴人が独自の見解により遡及させている点である。

三、証拠<省略>

理由

控訴人が相互銀行法に基づき銀行業務を行なう会社であること、および控訴人が昭和二七年七月二六日被控訴人を従業員として雇傭したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第五号証および当審証人丹羽蔦夫の証言によれば、被控訴人は控訴人に対し昭和三九年二月五日同日付退職届を提出し(この事実は当事者間に争いがない)て右雇傭契約の解約を申し入れ、控訴人は即日これを承諾して、ここに右雇傭契約は合意の上解約されたことを認めることができ、右の認定を左右するに足る証拠はない。

被控訴人は、先ず、右退職届の提出は控訴人の強迫に因るものであるから、これを取り消したと主張するので、被控訴人主張の強迫の成否につき判断する。

控訴人が所得税法上その従業員の給与所得につき源泉徴収義務を負うものであり、源泉徴収にあたり、従業員に所定の扶養家族があるときは当該従業員から扶養控除申告書を徴して所轄税務署長にこれを提出するとともに、その申告書に基づいて法定の扶養控除をなした上、課税所得額を定めて法定の所得税額を徴収・納付していること、被控訴人は控訴人に対し昭和三七、三八両年度の所得につき妻孝子、長男和弘および長女弘美の三名を扶養家族として扶養控除申告書を提出したので、控訴人は右各申告に基づき法定の扶養控除をした上算出された所得税額を被控訴人から源泉徴収して、これを所轄の岐阜北税務署長に納付したこと、控訴人の定めた給与規程細則第一条第二号ホによれば、控訴人は従業員に対し扶養家族申告書に基づき扶養家族五人を限度として毎月第一被扶養者につき金二五〇〇円、第二被扶養者につき金一〇〇〇円、第三被扶養者以下につき金四〇〇円の家族手当を支給するが、配偶者であつても定職を持ち、または定収入があつて納税資格を有する場合は扶養家族とみなさないものとされていること、被控訴人は昭和三七、三八両年度の各一月一日付をもつて控訴人に対し第一扶養家族妻孝子、第二扶養家族長男和弘、第三扶養家族長女弘美と記載した家族手当受給承認申告書を提出したので、控訴人は右各申告に基づき被控訴人に対し右規定による家族手当を支給したこと、右孝子が昭和三七、八年当時名古屋市中村区長戸井町二丁目五番地の柴山木材工業所こと柴山栄三方に勤務して給与を受けていたこと、控訴人が従業員の服務、賞罰等につき定めた就業規程の第五六条の四が「職員が次の各号の一に該当する行為があつたときは懲戒解雇とする。ただし情状により減給、出勤停止または降職にとどめることができる。」と定め、その第二号に「窃盗、横領、暴行等の刑法犯に該当する行為のあつた場合」、第一〇号に「その他各号に準ずる不都合な行為のあつた場合」と各規定されていること、控訴人がその従業員をもつて組織されている岐阜相互銀行従業員組合(以下単に組合と称する)との間に締結した労働協約には原判決添付別紙(二)記載の各条文が存すること、および被控訴人が昭和三九年二月四日当時右組合の組合員であつたこと、ならびに同日控訴人の申し入れにより人事委員会が開かれ、被控訴人の解雇が議題とされたことは、いずれも当事者間に争いがない。

被控訴人は、右同日およびその翌日開催された人事委員会において控訴人側人事委員らが組合側人事委員らに対し、被控訴人に懲戒事由が存しないにもかかわらず虚構の事実をかまえて被控訴人を懲戒解雇に処すべしと主張した上、懲戒解雇か任意退職かのいずれかを選択させよと威嚇し、組合側委員らをして被控訴人にその旨を伝達せしめて被控訴人を強迫した旨主張するのであるが、成立に争いのない甲第一〇号証ならびに原審証人道家好、同山本嘉一郎の各証言、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果中右の主張に添う部分は、いずれも成立に争いのない甲第五号証および当審証人丹羽蔦夫、同増井三郎の各証言に比して措信し難く、かえつて成立に争いのない乙第三、四号証の各一、二、当審証人丹羽蔦夫の証言により成立を認め得る乙第一四、第一五号証に原審証人遠藤峰史、当審証人丹羽蔦夫、同増井三郎の各証言を総合すると、次の諸事実を認めることができる。

(一)  控訴人は相互銀行たる性格上従来職員の金銭上の犯罪行為に対しては厳格な態度を堅持し、昭和三七年四月には金四万三〇〇〇円余を横領した職員を懲戒解雇に処すべく人事委員会に附議したが結局依願退職としたこともあつた。

(二)  控訴人は名古屋西税務署長から昭和三八年一二月一〇日付書面をもつて被控訴人の昭和三七年分源泉所得税の徴収につき妻孝子が扶養家族であることを否認する旨の通知を受け、その頃他の二名の職員についても所轄税務署長から同様の通知を受けたので、各所轄税務署に係員を派遣して調査させたところ、被控訴人の妻孝子は前記柴山木材工業所から昭和三七年中に金一四万六七三一円、昭和三八年には金三〇万円余の各給与の支給を受け、両年とも所得税の源泉徴収を受けて、その旨同工業所から所轄税務署長に報告されている旨の調査報告を受けた(もつとも、控訴人がその後柴山木材工業所に依頼して送付を受けた昭和三八年分給与所得の源泉徴収票の写には、孝子の同年分給与所得は金一九万一七八五円と記載されている)ので、直ちに右孝子を右両年度の扶養控除対象者から除いて再調整した不足額合計金一万八九〇〇円を被控訴人から徴収して所轄税務署に納付した(被控訴人が右不足金一万八九〇〇円を控訴人に支払つたことは当事者間に争いがない)。

(三)  扶養控除を否認された前記三名の内一名は控訴銀行の支店長であつたところ、否認の対象とされた年度が昭和三七年度のみであつたこと、同人は否認の通知を受けると早速上司に口頭で恐縮の意を表し、進退伺いを申し出たこと、および支店長の後任人事を慎重に決する必要があること等を考慮した控訴人の役員会は、右支店長の処分についてはしばらく留保することとして(同人は結局昭和三九年三月下旬頃依願退職した)、被控訴人を含むその余の二名の職員の処分につき検討した。

(四)  被控訴人は昭和三七、八両年度において前記妻孝子のほか長男および長女を扶養し、右三名を扶養家族として申告した結果前記給与規程細則により昭和三七年中は毎月金二五〇〇円、昭和三八年中は毎月金三九〇〇円の家族手当の支給を受けたが、孝子は定職を持ち納税義務を負担していたから、同細則の規定により扶養家族とみなされず、長男および長女をそれぞれ第一、第二被扶養者として申告すべきであつたから、毎月金四〇〇円宛、合計金九二〇〇円(昭和三八年一一月分まで)の家族手当を不当に受給していたことになる。しかも被控訴人は同居の妻が定職を有し毎月給与の支給を受け年末に給与所得の源泉徴収票の交付を受けていたことを当然知つていたものと推定されるから、少なくとも昭和三七年末には同年度分の右家族手当の超過受給分を控訴人に返還すべきことを知つたにもかかわらず、これを返還しないのみか昭和三八年分扶養家族申告書にも妻孝子を第一被扶養者として申告したのであるから、少なくとも昭和三八年分の家族手当の超過受給分については詐欺罪が成立し、また昭和三九年分扶養家族申告書にも右同様の記載をして、これを控訴人に提出したが、前記のように事件が発覚したため控訴人の係員が同申告書中妻孝子に関する記載を抹消したため、同年一月分給与については詐欺未遂に終つたものである。したがつて右の行為は前記就業規程第五六条の四第二号に該当し、また前記所得税の扶養控除に関し妻孝子を扶養家族として申告し所得税の一部につき源泉徴収を免れた行為は、右同様少なくとも昭和三八年分につき当時施行の所得税法第六九条の二第一項第三八条に該当するから、右行為は前記就業規程第五六条の四第一〇号に該当する。

(五)  被控訴人は控訴人本店の課長補佐として管理職の地位に在りながら、人事課担当係員から前記名古屋西税務署長から扶養家族否認の通知が来たことを告げられるや、同係員に対し「手当のことがあるから上司には内密にしておいてくれ」と依頼し、上司に対し謝罪の意を表したこともなく、所得税の調整額は昭和三九年一月一〇日頃、家族手当の不当受給分は同年二月五日頃、それぞれ控訴人側から請求を受けて始めて支払つたものであつて、その間全く反省の色を示したことはなかつた。

(六)  控訴人の従業員の給与水準は岐阜県内の一般の給与水準はもとより、同県下の他の金融機関の給与水準に比しても高いことからも、また相互銀行法により大蔵省の監督を受ける金融機関としての立場からも、控訴人が所得税の源泉徴収および家族手当の支給のために従業員から徴する扶養家族の申告につき不正申告を黙認したことなどはなく、税務当局から従業員の源泉所得税につき扶養家族の否認を受けたこともかつてなかつた。

(七)  そこで控訴人の役員会は昭和三九年一月二五日頃被控訴人ほか一名を懲戒解雇すべきものと判断し、人事の定期異動と共に人事委員会に附議することとして、直ちに組合側の人事委員に対し人事委員会を同年二月上旬に開催する旨を予告した上、同年二月三日口頭をもつて翌四日午前一〇時人事委員会を開催する旨を通知した。

(八)  右の通知方法は前記労働協約第六九条本文所定の通知方法に反するが、同協約上の人事委員会は組合員以外の従業員の人事についても協議する権限を有し、しかも人事に関する事項は発表まで秘密を厳守する必要があるところから、人事の定期異動についても数年前から右同条ただし書を適用し、議案は文書をもつてすると否とを問わず、これを通知しないことが慣行として確立していた。

(九)  昭和三九年二月四日開催された人事委員会には組合側人事委員のうち組合書記長が風邪のため欠席したので、開催に先立つて控訴人側人事委員から出席した組合側人事委員らに対し、一名欠席のまゝ開催することの可否をはかつたところ、差支えない旨の回答を得たので、一名欠席のまゝ開催されたのであるが、第一の議案として控訴人側委員から被控訴人ほか一名を懲戒解雇に処する件が上程され、経過および理由の説明が行なわれた。

組合側委員らは、右の説明を聞き、かつ二、三の証拠書類を示された上で、ことが金銭上の不祥事であり、かつ控訴人が相互銀行であるだけに、事態は被控訴人ら二名にとつて極めて不利であるのみならず、被控訴人が当時組合の執行委員であつた(右事実は当事者間に争いがない)ことから、組合にとつても不利なことであると判断し、被控訴人らの不正行為に困惑しつゝも、解雇だけは免れさせたいとの気持から、解雇以外の懲戒方法で足りることを極力主張し、休憩時間に組合書記長と電話連絡をとりつゝ、控訴人側委員らに対し解雇が不当であることを繰返し主張し、協議は深更に及んだため、翌日続行されることとなつた。

右の席上において控訴人側委員から組合側委員に対し、本人に相談したり、組合執行委員会を招集したり、組合の上部団体に相談したりすれば直ちに懲戒解雇を発令すると発言したことはなく、また控訴人側委員らが組合側委員らの自由を束縛し休憩時間中尾行をつける等、威圧を示す態度をとつたこともなく、組合側委員らが被控訴人ほか一名と相談しなかつたのは協議の秘密を守るためであり、また執行委員会を招集しなかつたのは、あくまでも組合三役の責任において処理すべきであると判断したためであつた。

(一〇)  翌二月五日続行された人事委員会には前日欠席した組合書記長も出席したが、組合側委員らは前日の討議に鑑みるときは被控訴人らを企業内に留めることは至難であると観念し、懲戒解雇案に対する対案として右両名を依願退職させることを提案するに至つたので、控訴人側委員らは休憩を求めて他の役員らと約一時間にわたり合議した結果、右両名が不当に受給した家族手当を控訴人に返戻すること、および同日の勤務時間中に退職願を提出することを条件として組合側委員の提案を受け入れることとし、協議を再開してその旨を返答したところ、組合側委員は右の二条件を受けいれたので、再び協議の結果被控訴人に対しては組合が、他の一名に対しては控訴人側が、それぞれ右人事委員会の結論を伝達することとして、同日午後一時頃前記議案に対する協議は終了した。

同日の協議において、労働協約第四五条第二項の「銀行は従業員の採用、異動、昇給、解雇、休職、停年、賞罰等人事に関する基本事項については組合と協議して決定する。」との規定および同第四八条第一項の「銀行は組合役員の異動を行なう場合は予め組合の同意を得て行なう。」との規定の解釈につき、組合側委員らは組合役員の懲戒解雇についても組合の同意を要すると主張したのに対し、控訴人側委員らは組合役員を懲戒解雇に処するときは人事委員会に附議すれば足り、組合の同意を得なくても懲戒解雇の発令をなし得ると主張して論争をしたことはあつたが、被控訴人の主張するように控訴人側委員が組合側委員に対し「被控訴人が本日午後五時までに退職届を提出しなければ生涯どこへも就職ができないように烙印を押してやる。組合執行委員会にはかつたり上部団体その他の第三者に相談したりしても同様である。」と威嚇して終始強圧的な言辞を弄したことはなく、また四、五両日を通じて「牧(被控訴人と共に協議の対象とされた職員の姓)はその名のとおり巻き添えだ。」と発言したりしたことはない。

(一一)  組合側人事委員(組合三役)四名は直ちに被控訴人に面会して人事委員会における交渉の経過を説明したが、その際依願退職の途を択んだ方がよいとの意見を述べた委員もいた反面、かりに懲戒解雇が発令された場合に組合が反対闘争をするか否かは組合の大会が決することであるから、被控訴人が辞表を提出するか否かは被控訴人の自主的判断に委せるべきだとの意見を述べる委員もいて、結局被控訴人の自主的判断に委せることとし、被控訴人を残して委員全員は組合事務所に引揚げたところ、同日午後五時頃被控訴人から上司に対し退職届が提出された。

以上認定の諸事実によれば、控訴人が被控訴人を懲戒解雇に処すべしとした判断は不当ということを得ず、また人事委員会において控訴人側人事委員らが組合側人事委員らに対し威嚇的または強圧的な言動をした事実も認められない(なお、前記労働協約第四八条第一項を成立に争いのない乙第一〇号証により認め得る労働協約第四章のその他の各条文と対比するときは、右第四八条第一項は組合役員の職種変更、配置転換等の異動については予め組合の同意を得ることを定めたものであつて、組合役員の懲戒は同条項にいう異動には含まれないと解するのが相当である)が、控訴人側人事委員らが組合側人事委員らをして被控訴人に対し、短時間内に退職願を提出しないときは懲戒解雇を発令すると告げさせた結果、被控訴人に畏怖を生じさせたことは、これを認めることができる。しかし、強迫による意思表示が取り消し得べきものであるためには、強迫者において相手方に畏怖を生じさせる故意のほか、この畏怖によつて特定の意思表示をさせようとする故意を有することを必要とし、また強迫が違法であることを要するところ、控訴人側人事委員らないし控訴人は、すでに被控訴人を懲戒解雇に処することを決意していたが、組合側人事委員らの提案により、もし被控訴人が任意に退職願を提出するときは懲戒解雇を発令しないことを約したのであつて、しかも被控訴人を懲戒解雇に処することは不当でないのであるから、被控訴人の畏怖によつて退職願を提出させようとする故意を有せず、また被控訴人をして退職願を提出せしめることによつて不正の利を得ようとするものでもないから、控訴人側人事委員らが前記のように被控訴人に畏怖を生じさせた行為は強迫の故意を欠き、また違法性を帯びないものといわなければならない。したがつて、本件退職届の提出が強迫による旨の被控訴人の主張は理由がない。

次に、本件退職は控訴人が依願退職という合意の形式を利用して不当労働行為意思を実現した不当労働行為である旨の被控訴人の主張につき判断する。

被控訴人が本件退職届提出当時組合の組合員であり、かつ執行委員であつたことは前記説示のとおりであり、原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人がその主張するとおりの組合およびその外部団体の役員歴を有することを認めることができ、また成立に争いのない甲第一、二号証、乙第一六号証の二および同第一七号証によれば、当時控訴人の代表取締役であつた郷諦は、昭和三七年四月および昭和三八年四月の各春闘終了後それぞれ「職員各位」と題する社長名の告示を従業員に配布し、昭和三七年四月の告示においては従業員の争議権を認めつゝ「労使の対立は企業繁栄を阻害する要因となりかねない」として労使が協議すべきことを説き、昭和三八年四月の告示においても同様の趣旨を述べて「銀行からストという言葉を抹殺したい」「賃金を力で勝ちとろうとすることから起る労使激突、対立抗争の時代は既に過去の姿」であると説いたこと、ならびに折にふれて感想を書き綴り、これを従業員に配布した小冊子「銀杏」第二号(無日付であるが、昭和三七年中に発行されたと認められる)において「大衆の信頼を基礎として成り立つている銀行としては、取引先に不安を感じさせるような過激な行動は絶対に避けねばなりません」「私どもは、一部の人の強い自我的主張、独善的な排他的な狭量な個人主義思潮、自分の立場を守る為になされる過激な言動に引回わされて自分の立場を失うとしたら、こんな愚かな話はありません」と説き、また、その第九号(昭和三八年九月三〇日発行)において「世間には、会社に雇われながら、その会社の不利益になることに骨を折る人がある。これは、チブス菌や赤痢菌の如くに、その身体から養分を受けながらその身体を倒さんとするに似る。まさに獅子身中の虫である。身体に腫物ができたら、早いうちにその根を断ち、身体の安全を計るのは当然の話である。会社でも好ましからぬことは小さいからと云つて放擲していては駄目である。全力をあげて治癒すべきである」と論じ、単なる労使協調にとどまらず、企業内部の過激派分子を積極的に排除しようとする姿勢を示すに至つたことを認めることができる。しかし同人はこれらの文書において組合の存在および従業員の争議権を明瞭に肯定しているのであつて、その他本件全証拠によつても、控訴人の取締役等が組合または組合運動に従事する者の存在そのものを否定し嫌悪するような言動を示したことを認めることはできず、かえつて原審証人山本嘉一郎の証言によれば、控訴人は昭和三七年頃から組合に対する経費の援助をとりやめ、また非組合員たる職員が組合に毎月協力費を支払うことをとりやめるよう働きかけるなど、組合の資金面での健全化(ひも付資金の排除)をはかることに協力したにもかかわらず、組合の一部の者がこれらを控訴人の組合に対する攻撃であると解したことがあることを認めることができる。

また、前記郷代表取締役が「組合活動の過激な者は違反を探して首を切れ。」と放言した旨の被控訴人の主張事実については、本件全証拠によつても、これを認めることができず、更にまた、控訴人が組合活動家としての被控訴人を企業外に排除する目的で本件退職届を受理した旨の被控訴人の主張事実を認めるに足る的確な証拠もなく、かえつて控訴人が人事委員会に被控訴人の懲戒解雇を附議したことが正当であり、また被控訴人の本件退職届の提出が控訴人の強迫によるものと称し得ないことは前記説示のとおりであるから、控訴人が本件退職届を受理したことは正当行為であつて、何ら不当労働行為を唯一の目的としたものということを得ない。

してみると、その余の争点につき判断するまでもなく被控訴人の本訴請求は附帯控訴に伴う請求を含めてすべて理由がないから、これを棄却すべきであつて、本件控訴は理由があり、本件附帯控訴は理由がない。

よつて原判決を取り消して被控訴人の従前の請求および本件附帯控訴に伴なう請求を共に棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 福島逸雄 広瀬友信 大和勇美)

原審判決の主文、事実および理由

主文

原告が被告銀行の従業員たる地位を有することを確認する。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

原告

第一申立

主文と同旨の判決を求める。

第二主張

一 請求原因

(一) 被告は相互銀行法に基き銀行業務を行う会社であるが、原告は昭和二七年七月二六日被告との間に雇傭契約を締結してその従業員たる地位を取得したものである。

(二) ところが、被告は原告がその従業員たる地位を有することを否認しているので、原告はこれが地位を有することの確認を求める。

二 答弁

争う。

(一) 認める。

(二) 認める。

(三) 原告が被告に対し、妻孝子が柴山木材工業所に勤務して給与を得ている旨答えたこと、および被告に対し昭和三七・三八両年度の源泉所得税の不足分として金一万八、九〇〇円を納入したことは認める。

右金額は被告から徴収されたのではなくして、原告が率先納入したものである。

(四) 被告が柴山木材工業所に対してその主張の照会をしたことは知らない。

原告の妻孝子は柴山木材工業所の経営者柴山栄三の妻と姉妹の関係にありかつ同一敷地内に居住しているところからその仕事を手伝つているという程度の勤務でしかなかつたのであつて、原告は意識的にこれを秘して家族手当の不正受給をはかつたものではない。

(五) 昭和三九年二月四日被告の申入れによつて人事委員会が開催されたこと、および当時原告が前記組合の組合員であつたこと、ならびに労働協約・就業規程に被告主張の各規定があることは認めるが、同月三日被告が組合に対し原告解雇の件につき同月四日人事委員会を開催する旨通知したことは否認し、その余の事実は知らない。

原告解雇の件は二月四日の人事委員会の冒頭突如として被告銀行側委員からもちだされたものである。

(六) 被告主張の日時に人事委員会が開かれたこと、原告が二月五日午后五時過ぎ頃被告に対し自ら作成した退職届を提出したところ被告がこれを即時受理したこと、ならびに原告が被告に対して金九、二〇〇円を返還したことは認めるが、その余の事実は否認する。

組合側委員は被告提出の懲戒解雇案に対しその不当であることを極力主張したところ、被告銀行側委員は同日中に退職届を提出すればよし、さもなければ懲戒解雇を強行するとして被告主張の(イ)、(ロ)の条件を提示するにいたつたものであり、なお原告が被告に金九、二〇〇円を返還したのは二月七、八日頃のことである。

三 再抗弁―強迫および不当労働行為

仮りに、原告提出の前記退職届を被告が受理したことにより原・被告間の雇傭契約解約の合意が成立したとしても

(一) 右の合意は被告の強迫によつてなされた原告の意思表示に基いて成立したものである。すなわち

(1) 原告は前述のとおり妻孝子をその扶養家族として扶養控除申告書および扶養家族手当受給承認申告書を提出していたところから、昭和三八年一二月二八日被告銀行人事部の事務担当者に対し妻孝子に給与所得がある旨を告げて善処方を問合せたところ、扶養家族手当受給承認申告書を撤回し、脱税相当額を被告に納入して納付すればよいということであつたので、原告は直ちに右申告を撤回して前述のとおり昭和三七・三八両年度源泉所得税の不足分として金一万八、九〇〇円を被告に納入したところ、被告はこれを了として右金額を受領し、右申告の撤回もこれを了承してここに問題は解決済みとなつたのである。

(2) ところが、被告は何ら緊急を要する案件もないのに、昭和三九年二月四日前記組合に対し突然口頭をもつて人事委員会の開催方を申入れ、その冒頭において、前述のとおり、原告を懲戒解雇に付する旨の議案を提出したものであるが、被告銀行側人事委員の提示したその理由は、原告の妻には昭和三八年度において金三〇万七、四四〇円の収入があつたのに原告はこれを秘して所得税を脱税していたため名古屋中村税務署から被告に対して追徴命令書が発せられ、その結果原告が金九、二〇〇円の扶養家族手当をも不正に受給していたことが判明したが、右は給与規程細則第一条2ホ但書に違反し就業規程第五六条の四第一〇号に該当するというにあつたところ、右はいずれも事実に相違して、しかも所得税・家族手当の件ともに前主張のとおり被告も了承して既に解決済みなのであるから、原告には右の規定に該当する事由は何ら存しないのにかかわらず、被告銀行側人事委員は右のような虚構の事実をかまえて組合側人事委員に対し、「原告が二月五日午后五時までに退職届を提出しなければ被告の責任において懲戒解雇を強行し、生涯どこへも就職ができないように烙印を押してやる。組合執行委員会に諮つたり上部団体その他の第三者に相談したりしても同様である。」と威嚇して終始強圧的に二者択一を迫るので、組合側委員はこの無謀な申出に憤りながらも、事は労働者である原告にとつて死活の問題であるところから、短時間協議の結果被告の右申出を原告に伝達することになり、二月五日午后一時二〇分頃原告に対し右人事委員会の状況を説明して被告の右申出を伝え、いずれにしてもその職を失うことを覚悟のうえ、退職届を提出するか懲戒解雇をまつか数時間以内に選択せよと決断を迫るにいたつたものであつて、ここにおいて原告は被告における懲戒解雇の意思が極めて強固であることを知り、これをさけるためやむなく前記退職届を提出せざるをえなかつたものであつて、右退職届提出による原告の雇傭契約解約方の意思表示は被告が組合側人事委員を通じて原告を強迫した結果なされたものである。

なお、原告は被告主張のとおり共済会脱会餞別金を受領し、健康保険証を返還し、失業保険離職表の交付を受けて失業保険金を受給し、通勤用定期乗車券を返還したことは認めるが、餞別金は事務担当者が処置に困るからと再三催促するので受領したまでのことであり、失業保険金は目下係争中であることを申告して受給したもので、本訴解決后に清算することになつており、定期乗車券は不正使用の疑をかけられるのも不本意であるところから返還したものであつて、これらの事実をもつて退職届の提出が原告の任意に出たものであるということはできない。

(3) よつて、原告は昭和三九年二月一五日付内容証明郵便をもつて被告に対し右退職届の提出による意思表示を取消す旨の意思表示をなし、該郵便は同日被告に到達したから、被告主張の雇傭契約解約の合意は同日をもつて取消された。

(二) また、右の合意は原告の正当な労働組合活動を嫌悪する被告が原告を強迫して退職届を提出せしめて退職申込みの意思表示をなさしめ、被告においてこれを受理承諾して成立したものであつて、右は被告が合意の形式を利用してその不当労働行為意思を実現したものである。すなわち

(1) 原告は被告銀行の従業員約八八〇名をもつて組織する前記岐阜相互銀行従業員組合の組合員であつて、その組合役員歴は別紙(四)記載のとおりである。

(2) しかして、原告は積極的な組合活動により右のとおり永年の間組合幹部の地位を持続して組合員多数の信望を集めていたものであるところ、被告は従前から組合活動を行う者を極端に嫌悪して、前代表取締役郷諦の如きは「組合活動の過激な者は違反を探して首を切れ。」と放言してはばからないありさまで、事あるごとに組合活動に支配介入し、組合員の思想・信条による差別待遇をこととして組合に対する攻撃を加えてきた。

(3) そして昭和三九年度春期闘争を目前にした同年二月四日、被告はかねて嫌悪してやまない組合活動に熱心な原告を排除すべく、原告に対する不当労働行為意思を隠蔽するため、組合員ではあるがほとんど組合活動に参加したことがない訴外牧政広にも原告同様の不祥事ありとしてこれを巻き添えにし、再抗弁(一)に前述したとおり、些少の不正事を口実として原告を強迫し、ついに原告をして退職届を提出するのやむなきにいたらしめたものであつて、これが合意の形式を利用して原告に対する不当労働行為意思を実現したものに外ならないことは、二月四日の人事委員会の席上被告銀行側人事委員が「牧はかわいそうだが巻き添えだ。」と公言したこと、原告および右牧政広の外に当時岡崎支店長であつた楠某外数名の従業員についても扶養家族手当を不正に受給していた事実があるのにこれらについては何ら問責されていないこと、原告から退職届を徴して組合に対する優位を獲得した被告は翌六日直ちに組合活動の中心である青年婦人部支部長級の組合員四三名に対する配置転換を断行したことなどからも明らかである。

(4) 以上のとおり原・被告間の、雇傭契約解約の合意は不当労働行為であるから無効である。

第三証拠関係<省略>

被告

「原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。」

との判決を求める。

一 答弁

(一) 認める。

二 抗弁―合意解約

原・被告間の雇傭契約は昭和三九年二月五日合意によつて解約され、これによつて原告は被告の従業員たる地位を喪失した。

右合意解約にいたる経緯は次のとおりである。

(一) 被告は所得税法上その従業員の所得につき源泉徴収義務を負うものであつて、右源泉所得税徴収にあたつては、従業員に所定の扶養家族がある場合には当該従業員から扶養控除申告書を徴して所轄税務署長にこれを提出するとともに、その申告書に基いて所定の扶養控除をなしたうえ、課税所得額を定めて所定の税額を徴収・納付しているものであるが、原告は昭和三七・三八両年度の所得につきそれぞれ妻孝子・長男和弘・長女弘美ら三名を扶養家族として扶養控除申告書を提出したので、被告は右申告書に基き所定の扶養控除をなしたうえ原告から所得税を源泉徴収してこれを所轄の岐阜北税務署長に納付した。

(二) ところで、被告はその従業員に対する給与・手当等の支給につき給与規程細則を定め、家族手当についてはその第一章第一条2ホに別紙(一)記載のとおり規定して、従業員から提出された扶養家族手当受給承認申告書に基き右規定による扶養家族手当を支給しているものであるが、原告は昭和三七・三八両年度につき各年一月一日付をもつてそれぞれ第一扶養家族妻孝子・第二扶養家族長男和弘・第三扶養家族長女弘美としてその受給承認申告書を提出したので、被告はこの申告書に基いて原告に対し右規定による扶養家族手当を支給した。

(三) ところが、昭和三八年一二月二五日頃名古屋西税務署長から同月一〇日付書面をもつて被告に対し、原告の昭和三七年度源泉所得税の徴収についてはその妻孝子の扶養控除を否認するにつき同年度分について再調整のうえ所轄税務署に納付し同三八年度については誤りのないよう留意されたい旨の通知があつたので、被告は原告に事情をただしたところ、原告の告白により、原告の妻孝子は昭和三七年一月以来名古屋市中村区長戸井町二丁目五番地の柴山木材工業所に継続勤務して給与の支給を受けかつ昭和三七・三八両年度とも同所において源泉所得税の徴収を受けていることが判明したので、被告としては事柄が対外的信用にかかわる問題であるところから、とりあえず同三九年一月八日原告の右両年度における源泉所得税につき妻孝子を扶養控除対象者から除いて再調整した不足額金一万八、九〇〇円を原告から徴収して所轄の岐阜北税務署長にこれを納付したのであるが、果して原告の妻孝子に右のとおり給与所得がありかつ源泉所得税の徴収を受けているとするならば、原告は前記給与規程細則の規定上同女につき扶養家族手当の支給を受けるいわれはなく、昭和三七・三八両年度の間に給与支給時において計金四万八、〇〇〇円・賞与支給時において計金一万九、一〇〇円合計金六万七、一〇〇円の手当を不正受領したことになる。

(四) そこで、被告は事実を確認すべく昭和三九年一月一四日前記柴山木材工業所に照会したところ、同月二八日同工業所こと柴山栄三から回答があり、その結果原告の妻孝子は同三七年一月一日から引続き同工業所に勤務して、昭和三七年度においては金一四万六、七三一円の、同三八年度においては金一九万一、七八五円の各給与所得があり、同所において前者については金四四〇円の、後者については金二、二八〇円の各源泉所得税を納入したことが判明した。

(五) ところで、被告はその従業員をもつて組織されている岐阜相互銀行従業員組合との間に労働協約を締結しているところ、その第五章人事委員会の項には別紙(二)記載のとおり規定されており、また被告は従業員の服務・賞罰等に関し就業規程を定めてその第五六条の四には従業員に対する懲戒解雇事由として別紙(三)のとおり規定しているのであるが、被告は前項掲記の事実が判明した后、原告の前記源泉所得税の不正免脱および家族手当の不正受給につきその取扱いを役員会に諮つて検討した結果、原告の右行為は右就業規程第五六条の四第二号ないしは第一〇号所定の解雇事由に該当しかつ対外的にも被告の信用を失墜させるものにつきこれを懲戒解雇すべしとの結論に達したものであるところ、当時原告は前記組合の組合員であつたので、被告は右労働協約の規定により昭和三九年二月三日組合に対し、同月四日原告解雇の件につき人事委員会を開催する旨申入れて、人事委員会は同日午前一〇時から開催された。

(六) しかして、同日の人事委員会は午后一〇時頃まで開かれ、翌五日も続行されたが、被告銀行側委員の前記理由による原告解雇案に対し組合側委員もついにその合理性を反駁しえないところとなり、ここにおいて組合側委員から解雇案に代る依願退職案が提出されるにいたつたので、被告銀行側委員は

原告において

(イ) 同日午后五時までに退職届を提出すること

(ロ) 前記不正受給にかかる家族手当金のうち便宜原告の妻孝子を第三扶養家族として原告の利益に修正した金九、二〇〇円を被告に返還すること

を条件として右依願退職案に同意したところ、原告は同日午后五時過ぎ頃自ら同日付退職届を作成して被告にこれを提出し、かつ右金九、二〇〇円を返還したので、被告は即時右退職届を受理して、ここに原告との間の雇傭契約は合意により解約されるにいたつた。

三 答弁

(一) 争う。

(1) 原告が扶養家族手当受給承認申告書を撤回して脱税相当額の金一万八、九〇〇円を被告に納入したことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告は右金額納入の際事務担当者に対し受給承認申告書は撤回するにつき上司には内密にされたいなどと申入れたとのことである。

(2) 被告が、人事委員会において、原告には就業規程第五六条の四第一〇号に該当する事由があるのでこれを懲戒解雇に付する旨表明したことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告が退職届を提出するにいたるまでの経緯は抗弁として前述したとおりであり、なお被告は右委員会において原告の右不正行為は就業規程第五六条の四第二号にも該当する旨指示した。

しかして、原告は自発的に右退職届を提出したものであつて、このことは原告がその后の同年二月一二日被告の従業員たる者はすべのその加入を強制される被告銀行共済会から同会脱退餞別金七、〇〇〇円を受領し、同月一三日被告に対し健康保健証を返還し、失業保険離職表の交付を受けて爾来所定の失業保険金の給付を受け、同月一四日被告に対し通勤用定期乗車券を返還したほか、前述のとおり不正に受給した扶養家族手当金九、二〇〇円を返還したことなどから明らかである。

(3) 原告主張の日その主張の意思表示が被告に到達したことは認める。

(二) 争う。

(1) 原告が昭和三九年二月五日まで同組合の組合員であつたこと、および同三八年五月から同三九年二月五日まで同組合の執行委員であつたことは認めるが、その余の役員歴は知らない。その余の事実は認める。

(2) 原告の組合活動のことは知らない。その余の事実は否認する。

(3) 楠岡崎支店長にも原告同様扶養家族手当を不正に受給していた事実があること、同年二月相当数の異動があつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

牧政広についても右と同様の不祥事があつたので原告とともに人事委員会に付議したところ、原告についてと同様組合側委員から依願退職案が提出されたので被告においてこれを了承し、同人も二月五日退職届を提出して円満退職した。

楠支店長については同年一月六日被告に対し進退伺が出されていたのであるが、事務引継の完了をまつて同年三月二六日依願退職している。

被告銀行においては毎年二月および八月に定期異動が行われており、同年二月の異動も定期のそれとして行われたものであつて、組合活動家のみを異動させたものではない。

(4) 争う。

原告には被告がその抗弁において前述したとおり就業規程第五六号の四第二号ないしは第一〇号に該当する事由があり、殊に問題が金銭に関する事柄であるだけに被告銀行の対外的信用を失墜させること甚しいものがあるところから、被告は人事委員会において原告を懲戒解雇に付すべき旨を主張したのであつて、被告のこの主張は当然かつ正当であつて、この間に不当労働行為的意思ないし作為はいささかも存しない。

理由

一 請求原因(一)の事実は当事者間に争がない。

二 そこで被告の抗弁について判断するのに、成立に争のない乙第五号証と原告本人尋問の結果の一部とに弁論の全趣旨を綜合すれば、原告は昭和三九年二月五日被告に対し同日付退職届を提出し(この事実は当事者間に争がない)て雇傭契約の解約方を申入れたところ、被告は即日これを承諾して原・被告間に雇傭契約解約の合意が成立したことが認められ、この認定に反する証拠はない。

三 これに対して原告は、右解約の合意は被告が合意の形式を利用して原告に対する不当労働行為意思を実現したものであり、不当労働行為として無効であると主張するので、まずこの点について判断する。

(一) 抗弁(一)、(二)の事実はいずれも当事者間に争がなく、しかして、原告の妻孝子が昭和三七年一月一日から引続き名古屋市中村区長戸井町二丁目五番地柴山木材工業所に勤務して昭和三七年度においては金一四万六、七三一円の、同三八年度においては金一九万一、七八五円の各給与所得があり、同所において前者については金四四〇円の、後者については金二、二八〇円の各源泉所得税を納入したことは原告の明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなされるべく、いずれも成立に争のない乙第一号証・同第四号証の一ないし三と証人遠藤峰史の証言の一部とに弁論の全趣旨を綜合すれば、被告は右の事実を、昭和三八年一二月二五日頃名古屋西税務署長から同月一〇日付書面をもつて、原告の昭和三七年度源泉所得税の徴収については妻孝子の扶養控除を否認するにつき同年度につき再調整のうえ所轄税務署に納付し同三八年度については誤りのないよう留意されたい旨の通知を受けたところから、同三九年一月一四日頃前記柴山木材工業所こと柴山栄三に照会し、同月二八日頃同人の回答を得て確知するにいたつたものであることが認められ、この認定に反する証拠はない。

右事実からすれば、原告は昭和三七・三八両年度において妻孝子につき扶養控除および扶養家族手当の支給を受けうべきではないのに、これを被扶養者として扶養控除を申告してこれに相当する源泉所得税の徴収を免れかつ扶養家族手当の支給を受けていたものというべきである。

(二) しかして、被告がその従業員の服務・賞罰等に関して定めた就業規程第五六条の四に従業員に対する懲戒解雇事由として別紙(三)記載の規定を設けていることは当事者間に争がないが、原告本人尋問の結果によれば、原告の妻孝子は前記柴山木材工業所こと柴山栄三の妻の実妹にあたりかつ同人らとは同一敷地内に居住していたところから請われるままにその仕事を手伝つているうちに継続勤務するようになつたものであつて、当初は定収入を得るような勤務状況ではなかつたこと、および被告銀行従業員間において前記給与規定細則第一条2ホ但書の規定が必ずしも厳格に適用されてはいない実情にあつたこと等から、原告はその妻孝子が同所において定収入を得るにいたつたのちにおいても従前のとおりこれを被扶養者として扶養控除申告書および扶養家族手当受給承認申告書を提出していたものであること、そして前記名古屋西税務署長から前記の通知があつた旨連絡を受けた原告は率直にその事実を被告銀行事務担当者に告白したうえ進んで源泉所得税の不足額を納入し(納入の事実は当事者間に争がない)、かつ昭和三七・三八両年度における扶養家族手当受給承認申告書を撤回して不正受給額を直ちに返還すべきことを申出でたこと(その際原告が右事務担当者に対し上司には内密にしてもらいたい旨申入れたとの証人遠藤峰史の証言部分は原告本人尋問の結果に対比して措信できない)が認められるところ、原告の右各不正申告とこれによる源泉所得税の免脱、扶養家族手当の受給は、いずれも懲戒解雇事由を定めた右就業規程第五六条の四、第二号の「刑法犯に該当する行為」又は同条第一〇号の「これに準ずる不都合な行為」に当るものと解する余地はあるけれども、右第五六条の四には但し書として情状により減給、出勤停止、又は降職に止めることができる旨を定めているのであつて、被告銀行の職員に刑法犯に該当する行為又はこれに準ずべき行為があれば、直ちに懲戒解雇事由のみにあたると解すべき文理上の根拠は全く存しない。のみならず、刑法犯に該当する行為又はこれに準ずべき行為といつても、その行為の軽重および情状において著るしく悪質なものから極めて軽微なものまで広範囲にわたることが当然予想されるのであるから右但し書の趣旨はそれが比較的軽微なものはこれを減給等の事由とするに止めたものと解されるのである。そうとすれば叙上認定の経緯と事案の実質的な内容は軽微であつて、被告銀行の業務および信用を直接に害するものでないこと等の情状からみて、原告の叙上行為はいまだ懲戒解雇事由にはあたらないものとするのが相当である。されば被告銀行が原告の右行為をもつて懲戒解雇事由にあたるものとしたのは明らかにその認定を誤つたものといわなければならない。

(三) ところで、原告が被告銀行の従業員をもつて組織する岐阜相互銀行従業員組合の組合員であつたことは当事者間に争がなく、証人道家好・同山本嘉一郎の各証言および原告本人尋問の結果の各一部によれば、原告の同組合における役員歴は別紙(四)記載のとおりであつて、その間原告は同組合においてはもちろんのこと、金融資本による組織攻撃から金融労働者の団結と権利を擁護することを目的として結成された岐阜地区金融共闘会議の事務局長としてまた東海地区金融共闘会議の幹事として、金融労働者の団結と労働条件の改善のために真摯かつ熱心に組合活動を続けてきたものであつて、同組合においては昭和三九年一月頃執行委員長道家好・副執行委員長服部精太郎・同増井三郎・書記長山本嘉一郎ら三役指導の下に、被告銀行の介入によつて組織分裂の危険をはらみながらもこれを克服して春期賃上げ闘争にとりくむべく中央委員会等を開いてその準備に着手しつつあつたことが認められるところ、これに対して昭和三九年四月死亡によつて退職した被告銀行の前代表取締役郷諦は昭和三八年四月の賃上げ交渉妥結に際し各従業員宛に「中小企業金融機関間における競争が激化しつつある折柄これに打ちかつためには労使協調してコストダウンをはかる必要があり、争議権は労働者に認められた基本的権利ではあるが銀行におけるストライキは自殺行為に等しく、力で賃金をかちとろうとすることから起る労使激突・対立抗争の時代は既に過去の姿であつて、今日においては労使共通の立場で生産性の向上と企業の永続的発展のために協調する調和の時代に入つている」との告示を出し、本来労働者の団結をもとによりよい労働条件の獲得を目的とすべき労働組合の存在そのもの、ないしはその活動を容認しえないものとするかのような基本的態度を表明し、同年秋の賃上げ紛争に際しては、同人が折にふれその所感を記して全従業員に配布閲読させていた「銀杏」と題するパンフレットにおいて「会社に雇われながらその不利益になることに骨を折る者はチフス菌や赤痢菌に似て会社にとつてはまさに獅子身中の虫であるから小なりといえどもこれを放置することなく全力をあげて治療すべく、先進金融機関においては既に組合運動の弊を脱して信用を基とする金融機関に職を有する従業員の健全な組合に移行してしまつているのであるから、当行もよろしくその轍を踏まなければならない」として、金融機関において労働組合運動に従事する者を伝染病菌になぞらえ、これを速やかに排除すべき旨公言し、あるいは職制に対しては「組合活動の過激な者は違反を探して首を切れ。」と督励するなど、ことごとに労働組合そのものないしはその運動に従事する者の存在を否定し嫌悪していたこと、および被告の労働組合対策がすべてこの基本線に沿つておし進められていたことは、前記各証拠といずれも成立に争のない甲第一、二号証とに弁論の全趣旨を綜合して明らかなところである。

(四) そこで、原告が前説示の退職届を提出するにいたつた事情について審按するのに、被告が前記岐阜相互銀行従業員組合との間に締結した労働協約の第五章に別紙(二)記載のとおり規定されていること、および被告の申入れにより昭和三九年二月四、五両日にわたつて人事委員会が開催されたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第五号証および乙第五号証と証人道家好・同山本嘉一郎の各証言および原告本人尋問の結果の各一部とに弁論の全趣旨を綜合すれば、

(1) 被告は昭和三九年二月三日組合に対し右労働協約第六九条の規定と従来の慣行に反してその議題を事前に連絡することなく翌四日右協約に基く人事委員会を開催する旨申入れて、翌四日午前一〇時頃から、被告銀行側は当時の専務取締役足立兼治・常務取締役長柄一二三・取締役大野誠一・人事部長丹羽蔦夫、組合側は執行委員長道家好・副執行委員長服部精太郎・同増井三郎(書記長山本嘉一郎は病気欠勤中につき欠席)らが出席して人事委員会が開催されるにいたつたこと

(2) 席上冒頭に被告銀行側人事委員から、原告および組合員牧政広は被扶養家族の資格がない者を被扶養家族として源泉所得の扶養控除を申告して脱税し、かつ扶養家族手当を不正に受給していたことが判明したが、右は前記就業規程第五六条の四第二号ないしは第一〇号に該当するので右両名を懲戒解雇するにつき了承されたい旨提案し、その根拠として原告については前記(一)に認定したその妻孝子に給与所得がある事実を提示したこと

(3) しかし組合側委員としては右の事実は初めて耳にすることで真偽の程もはかりがたく、事が現に組合執行委員として組合活動の中核を占めている原告の身分に関する問題であるだけに山本書記長の欠席しているこの席上で回答することはできないので、原告本人に事情をただしたうえ、執行委員会にはかり、さらに上部団体である全国相互銀行従業員組合連合会(全相銀連)に連絡してその指示を仰ぎたいとして会議の延期方を申入れたところ、被告銀行側人事委員は、原告はたとえ被告銀行から放てきしてもいずれ他の企業に就職するときはまたもや指導的地位に立つて労働運動を続けるであろうから、さようなことができないように烙印を押す必要があるので、組合の意向にかかわりなく原告を懲戒解雇する方針に変わりはない旨強硬な態度を示し、牧はその名のとおりマキ添えであると放言して耳をかさないので、組合側人事委員は労働協約上組合三役および執行委員の異動を行う場合は予め組合の同意を得て行うこととされており、かつ従前から他の一般組合員についても事実上右と同様の取扱いがなされていたところからこれを不当として抗議を申入れたが被告銀行側委員はさらにこれを聞き入れる気配を示さないばかりか、もし組合において原告本人から事情を聴取し、執行委員会にはかり、あるいは全相銀連に連絡してその指示を仰ぐというようなことがあれば即座に懲戒解雇を発令すると強迫的言辞を弄して回答をせまるにいたり、ここにおいて被告銀行側委員の強腰に気押された組合側人事委員はどのように抵抗したところで被告の原告を懲戒解雇に付する意思を変更させることは不可能であろうと判断し、さりとて組合の現状から原告に対する懲戒解雇を受けて立つ自信もなかつたところから、いずれ原告の退職は不可避の情勢にあるならば、原告の将来のために懲戒解雇ではなくして依願退職という形で円満解決をはかるべく原告を説得するにつき結論は翌日にもちこしてもらいたい旨申入れたところ、被告銀行側委員は翌五日午前一〇時までに回答が得られるならばとこの申出を了承したこと

(4) この間組合側人事委員は病臥中の山本書記長に対し二回にわたつて電話で情勢は組合側にとつてきわめて不利である旨伝えてその意見を徴したところ、同人はともかく明朝出勤するにつき執行委員会を招集しておくようにとの意向を述べてきたが、組合側人事委員としては被告銀行側人事委員から前記の言辞をもつて強迫されていたところから、執行委員会を招集することなく、さりとて原告本人に面談して対策を講ずるでもなく、まして全相銀連に連絡してその指示を仰ぐこともなく漫然翌五日を迎えたのであるが、同日朝から続開された人事委員会において山本書記長を含めた組合側人事委員は再度原告および牧政広に対する懲戒解雇は理由がなく不当である旨抗議をくりかえしたがもとより被告銀行側人事委員の受入れるところではなく、そこで組合側委員四名は協議の結果原告については退職届の提出に応ずるもやむなしとの結論に達してその旨被告銀行側人事委員に申入れたところ、被告銀行側人事委員は組合側人事委員において原告を説得して同日午后五時までに退職届を提出させるならば依願退職の取扱いをしてもよいがさもなければ直ちに懲戒解雇を発令するとして依然強硬な態度を示したので、組合側人事委員は懲戒解雇をさけるためにはそれもやむなしとして原告に対する説得方を請合つて人事委員会は打切られたこと

(5) そして組合側人事委員四名は同日午后一時三〇分頃原告を被告銀行社屋裏の中華料理店に誘つて昼食を共にしながら原告に対し、前日開催された人事委員会において突然被告銀行側人事委員から原告および牧政広に対する懲戒解雇の件が提案されたことを伝え、被告銀行側の態度は甚だ強圧的にして現段階においては懲戒解雇を受けて立つかあるいはこれをさけて同日午后五時までに退職届を提出するかの二者択一を迫られている情勢にあるとしてその経過を逐一報告したうえ、そのいずれを選択するかはもとより原告の自由意思によるとしながらも、もし同時刻までに退職届を提出しないときは人事委員会における被告銀行側人事委員の強硬な言動から推して即時懲戒解雇の発令をみるのは明らかであるがこの場合組合としてこれを受けて立つて争うときは組織の分裂を招くことは必至であろうからその間の情勢をも考慮して判断されたいと述べて、暗に被告銀行側の意を受けて退職届の提出に応ずるよう促したこと

(6) これに対して原告は、被告銀行側人事委員が懲戒解雇の理由としてあげた原告の所為は就業規程所定の懲戒解雇事由に該当するものではないとし、右は鋭意労働組合運動に努力を傾けてきた原告をその故に排除しようとの意図に出たものであるから、組合としては断固これを拒否して全相銀連あるいは地区共闘会議の支援のもとに闘うべきであるのに、この間原告本人に対してすら何らの連絡をもしなかつたばかりか、剰え被告銀行側の意思を代弁して原告に対し退職届の提出を促すかのような組合側人事委員に対してそれでも労働組合の三役かと激しく非難し反論したものの、組合側人事委員である三役らはともかく指定の時刻も迫つていることであり懲戒解雇だけはどうしてもさけなければならないとしてその態度を改めないので、思案に余つた原告は同日午后四時三〇分頃その場から岐阜相互銀行従業員組合出身の全相銀連執行委員長本多武に架電し、事情を報告して指示を仰いだところ、急のこととてさしあたつての適切な指示を得ることはできず、さらに上司の森管理部長にも相談したが徒労に終わり、かくするうち指定の午后五時も過ぎたので、万策尽きた原告は懲戒解雇だけは回避しなければならないと判断して退職届の提出を決意し、組合書記局において有り合せの用紙に今般家庭の事情により退職致したく届出でる旨記載した退職届を作成し、同日午后五時三〇分頃右森管理部長をつうじて被告にこれを提出するにいたつたものであること

がそれぞれ認められるのであつて、右認定をくつがえすにたりる証拠はない。

(五) 右認定の事実に前記(三)認定の事情を併せ考えれば、被告は熱心な労働組合運動家である原告をかねてから嫌悪して自己の企業から排除すべく、人事委員会において、被告制定の前記就業規程所定の懲戒事由のうち懲戒解雇事由には該当しないものと認められる前記(一)認定の原告の所為を奇貨として原告を懲戒解雇すべき旨を強硬に申出で、なすところなく困惑しきつた組合側人事委員をして原告に対する退職届提出方の説得を請合うのやむなきにいたらしめ、右組合側人事委員をつうじて原告に対しその意思を伝達して懲戒解雇か依願退職かの二者択一を迫り、ついに進退きわまつた原告をしてその意思を容認せしめ、もつて退職届を提出するのやむなきにいたらしめたものであることは明らかであるから、被告がこの退職届を受理することによつて成立した原・被告間の雇傭契約解約の合意は、使用者である被告において不当労働行為を唯一の目的とし、合意の形式を利用してその不当労働行為意思を実現したものというべく、かかる合意は労働組合法七条一号に違反する不当労働行為として民法九〇条により無効のものと断ずべきである。そうとすれば、被告の抗弁は原告その余の再抗弁について判断するまでもなく理由がない。

四、以上の次第で、原・被告間には依然として従前の雇傭契約が存続しているものというべきであるから、原告が被告銀行の従業員たる地位を有することの確認を求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

別紙 (一)~(三) 省略

別紙 (四)

原告の組合役員歴

昭和三〇年四月 一宮分会長・代議員

同三一年四月  右同

同三二年四月  代議員

同三三年四月  愛知支部書記長・中央委員

同三四年四月  愛知支部長・執行委員

同三五年四月  執行委員

同三六年四月  右同

同三六年九月  副執行委員長

同三七年五月  中央委員・岐阜地区金融共闘会議事務局長

同三八年五月  執行委員・岐阜地区金融共闘会議事務局長・東海地区金融共闘会議幹事

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例